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歴史とは有り難いものです。忘れられている日本の歴史をもう一度考えてみましょう。

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人類の始まり
 
太陽系の一つの星 地球。

誕生は46億年前でした。

ここにやがて生命がはぐぐまれ「人類」が出現するのです。

人類が最初に出現したのはアフリカ。

今からおよそ450万年前と言われています。

脳の大きさは現代人の3分の1の大きさでしたが、すでに二本足で歩いており
石から打製石器を作っていました。

彼らは猿人と呼ばれます。

猿人→原人→旧人→新人となります。

原人になると脳の大きさは猿人の倍となり、言葉も話せました。

約50万年前の原人の骨の化石が北京とインドネシアのジャワ島で発見され、
それぞれ北京原人・ジャワ原人と呼ばれています。

旧人はヨーロッパで多数発見されています。

日本では1949年に群馬県の岩宿遺跡で旧石器が相次いで発見され
日本でもこの頃から人類がいたことがわかりました。

 

人類皆兄弟!? 

初めて人が出現したのはアフリカですが、この頃はまだ猿人

そして180万年前ころから「原人」になるんですが、原人は猿人と違ってちょっと頑張った。

というのも、猿人はながーい時間アフリカで過ごしてたんだけど、
原人はアフリカから色んなとこに歩いて行ったのです。

アフリカから、ユーラシア大陸・ヨーロッパやアジアに向かい、北京原人やジャワ原人、
それにネアンデルタール人などなどになったのです。

もともとはアフリカで誕生した原人が祖先となるのでした。

さてさて、原人はようやく現代人に直結する「ホモ・サピエンス」に成長しました。

今、世界中に散らばってる人はみーんなアフリカから飛びまくったのです。
 

人類の祖先誕生のお話
 
今から450万年ほど前にアフリカの大地でチンパンジーなどの類人猿が突然
「おっ!二本足で歩けるぞ!」と立ち上がった

アウストラロピテクスと呼ばれる猿人は、「ねぇねぇ。これ使ったら便利じゃない?」と
木や石を道具として使うことを覚えはじめました。

さらに220万年前ごろからチョッパー(石器)を発明することに成功!

これらが人の祖先「ホモ・ハピリス」となり、お肉がおいしい♪というのを覚え始めました。

そして180万年前ごろに原人が現れるのです。

ある時、原人Aが雷が落ちた木を見ちゃいました。燃える木を見て「あれはなんだ?」とビックリ!

こうして原人は「火を使う」ということを覚えました。

そして「争う」ということを覚えたのです。

やがて争いに負けた原人は、トコトコとより暮らしやすい場所を本能のおもむくままに歩き始めたのです。

こうして原人の一部はインドネシア・アジア・中国・ヨーロッパに長い長い年月をかけ
ゆっくりと進化していくことになったのでした。

この進化によって50万年ほど前にネアンデルタール人(ヨーロッパの旧人)が誕生します。
 

15万年前 ホモ・サピエンス誕生
 
原人は世界各国に散らばりましたが、アフリカでは大きな進化が起きていました。

現代人の直接の祖先にあたるホモ・サピエンス(新人)の誕生です。

新人は原人と違い、石器を活用し、狩や漁・そして首飾りなんかも作りました。

が、人口が増えて狩猟技術が発達したことにより、食糧不足が発生しはじめました。

少ない食料を奪い合うための戦いが起こり、負けたチームは「しかたない。
新しい土地を探そうよ」と、トボトボ歩き始めました。

こうしてアフリカから各国へ進んでいくことに

 

新人 シベリアに到着 

西アジアへトボトボと歩いていった新人たちは、3万5000万年前くらいにシベリアに到着しました。

シベリアのバイカル湖付近は動物天国♪

マンモスもたくさんいたので、食料を求めて多くの新人がやってきました。

こうしてマリタ村が誕生したのです。

新人たちは何日もかけて巨大なマンモスを追い込み、
チームプレイによって「マンモスハンター」化してきました。

彼らは8件から10件くらいで集落を作り、50人くらいで暮らしていました

が、シベリアに地球最後の氷河期がやってきました。

今から2万5000年~1万1000年前くらいの時に、
氷河期に襲われかつてない寒さがシベリアに広がったのです。

「こりゃやばいぞ。マンモスもいなくなった。このままここにいたら死んでしまう」ということで
、シベリアに住む人々は住みやすい場所を目指して歩くことに。


 
2万年前 シベリアチーム 日本に到着 

寒さから逃げてきたシベリアチームの中で会議が開かれてました

「おいおい、ここまっすぐ行ったらどうなると思う?」

「いや、右行ったほうがいいんじゃないか?」

「ワタシは左だと思うわ」

「よし、じゃあ残念だけどここで別れよう。オレはまっすぐ行く」

「じゃあワシは右に行くよ」

「ワタシは左に行くわ」

こうしてみんなバラバラになって新たな食料を求める旅に出ました。

さてさて、今から2万年ほど前は海面が今より100メートル低かったので、
サハリンと北海道はつながっていました。

1万年前から紀元前3世紀ごろ、やっとこさ日本は島国の形になってきたそうです。

マリタ村を出た一行はバラバラになり、ついに一部の人たちが北海道に到着したのです。

こうしてマリタ村の子孫達が北海道に住むことになりました。
 
2万年前 もっと南に行ったらいいとこあるんじゃないの?
北海道にたどり着いたA君は、「もっと南に行ったらステキなとこがあるんじゃないかなぁ・・・」と思うように。

そしてとうとうA君は、家族を連れて南に行くことに!

トコトコと歩いていると、キレイな石を発見。

その石はすぐ割れて、細工しやすかった。

「ねえ、この石で槍とか作りやすそうじゃない?」といくことで、新しい槍を作ったのです

この石が「黒曜石(こくようせき)」と呼ばれるもので、鋭い刃を持つ細石器が発達するようになりました。

そしてA君たちは、北海道の南端に到着!

今の津軽海峡が冬になると凍ったので、トコトコと歩き本州へ。

そして旧石器人のA君は今の新宿に到着したのです。
 

アレ?動物がいなくなった? 

新宿に到着したA君たちは、ここでナウマンゾウを発見!

ここはイイトコだ!と狩をして暮らすことに。

快適ライフを過ごしていました。

ところが!地球は最終氷河期が終わり、気温が急上昇している最中だったのです。

A君の家族は

「最近動物がいないよね?」

「マンモスなんていつから食ってないっけ?」

「それにしても暑いよな」

「こないだね、ナウマンゾウが沢山いた草原にいったら、
すっごい木がいっぱい生えて森になってたよ!」

「ほんと?この暑さのせいで木が成長しまくったのかなぁ?」

「なんか変だよね・・・・ほんとに」

こうしてA君一家は狩をすることが出来なくなり、頭を抱えることになったのです。
 
1万2000年前 どんぐり発見!縄文土器を作る
動物がいなくなって困ったA君一家は、何か他に食べれるものがないかと考え中

そこで思いついたのが「ちっちゃな動物ってどんぐり食べてるよね?
アレ食べれるんじゃないの?」ということに

さっそくどんぐりを探しに森へでかけました。

が、パクッと食べると超苦かった!

「どうするよ?」ということになり、試しに泥を焼いて入れ物を作り、水で煮てみました。

すると苦味が取れ、とってもマイルドなお味に。

こうして土器と、木の実が食べれるという2つの発見ができたA君一家は、
飢えを凌ぐことができたのです。

この時作られた土器が「縄文土器」になります。

こうしてA君一家は縄文土器により新しい生活をスタート

たびたびの環境変化を乗り越えて、
やっとこさ「縄文人」として生活ができることになったのです。

 
縄文土器って?
A君たちが作った土器は縄文土器と呼ばれるように

そしてこの時代の土器は縄のような模様が多いので、縄文時代と呼ぶように。

縄文土器というのは、ひも状にした粘土を巻き上げて、500℃から800℃で焼いたもの。

ちなみに縄文土器の名付け親はアメリカ人の「エドワード・モース」という人です。

モースは大森貝塚を発見しました。

 

スンダランドへ行った新人たち 

15万年前にアフリカを出て行った新人たち

A君たちはアフリカ→シベリア→日本の北海道にたどり着いたチームですが、
お次はアフリカからインドシナ・マレー半島へ行った新人たち

インドシナ半島のあたりは、全て陸続きになっており「スンダランド」と呼ばれる巨大な陸地でした。

うっそうとした熱帯の森に囲まれ動物もたくさん。

アフリカからやってきた新人たちはここに住むことに決めました。

環境に適応して行った新人たちは、長い年月をかけ頭が丸くなり、
歯が小さくなり、スンダランド人(原アジア人)となっていきました。

そして3万年前ころ、スンダランドのニアー洞窟はかなりの人が暮らすように

ニアー洞窟というのは、現在のマレーシアにある巨大洞窟で、東京ドーム2個分くらい

スンダランド人は、光の当たる入り口で暮らしました。ちなみに奥はお墓。

こうしてスンダランド人のニアーの人々は子孫を増やしていったのです。

 

サフールランドへ! 

ニアー洞窟に住んでいるBちゃんは冒険好きな女の子

このスンダランドの東端にはどんな世界が広がっているんだろう・・・と、
気になってしかたなくって、とうとう仲間とともに東端へ旅立ちました。

そこで初めて見る海にビックリ!

「なんてステキなの♪」と、人類初の海洋民となるのです。

ここでBちゃんたちは魚を採ったりして暮らしました。

が、Bちゃんは「まだまだ遠くの海へ行ってみたい」と思うように。

こうしてBちゃんは数名の仲間を連れて旅に出たのです。

到着したのがサフールランド(現在のオーストラリア)でした。

ここでBちゃんはやっと落ち着こうと決心。

こうしてBちゃんたちはオーストラリアの先住民「アボリジニ」になっていくのでした。

 

フィリピンへ! 

ニアー洞窟に住んでいたC君は悩みがありました

「最近、ここ人が多いよね。食料が足りないよ」

そこでC君は決断!もっと食料が沢山ある場所を求めて旅立つことにしたのです。

こうしてC君はフィリピンに上陸しました。

家族みんな「いい場所ね」と喜んでたんだけど、
C君は「もっといい場所があるかもしれない」と悶々の日々

とうとう「おれ、もっと冒険したい!新天地を目指したい!」

こうして数名の仲間とともに、フィリピン諸島の沖で生まれる
世界最大の黒潮にのって旅立ったのです。

 

沖縄上陸! 

C君たちが黒潮に乗ってたどり着いたのが現在の沖縄本島でした。

C君はここを安住の地とし、「湊川人(みなとがわじん)」と呼ばれるようになるのです。

湊川人の特徴は、小柄で上半身は細いけど、下半身は太い。

こうして沖縄ライフを過ごしていましたが、気候の温暖化が進んだ1万4000年前ころ、
沖縄本島は水没が進み、動物が少なくなってきたのです。

「やっと安住の地を見つけたのに・・・」と悲しむC君たち

が、「めそめそしてても始まらない!しょうがないから北へ進もう!」と、
丸木舟を作り九州へ渡っていったのでした
 


1万2000年前  湊川人 

九州へ渡っていたた湊川人のC君たちは、ここで生活を営むことに。

そして狩をしたり、どんぐりの実を暮らして生活していきました。

シラス台地・上野原に集落を作り、やっとこさ安定した生活。

子供も生まれ孫も生まれ、そしてC君は死に、C君の子孫たちが生活をしていきました。

このC君の子孫がスンダランドからやってきた「縄文人」になるのです。

シベリアからやってきたA君たちも「縄文人」ですが、A君たちはシベリア系縄文人なのです。
 


7000年前  ムラができる
 
日本へ渡ってきた縄文人たちは、移動していた暮らしから定住する暮らしになってきました。

何家族が集まって、川や泉の近い日当たりのいい平地に家を作るようになってきたのです。

こうして日本列島にはいたるところで小さなムラが出来てきました。

そして6000年前くらいから、ムラとムラでの物々交換もするようになってきたのです。
 


6300年前  鬼界カルデラの大爆発 

C君の子孫のDちゃんは、上野原で縄文ライフを過ごしていました。

が、気になることが

「最近、よく地面が揺れるのよね・・・」

そうです。ちょうど九州最南端から40キロメートルほどの
竹島付近での海底火山が噴火直前だったのです。

最初の噴火は勢いのある噴火だったため、黒雲が発生し、軽石が飛び交いました

それでもDちゃんたちは「ナニ?何が起こったの?」状態で、どうすることもできませんでした。

二度目の噴火は小規模で、「大丈夫なのかなぁ?」程度でした。

が!!!三回目の噴火はめちゃくちゃすごいものだったのです。

マグマが空高く吹き上がり、火砕流がものすごい勢いでDちゃんのいる上野原めがけて押し寄せました。

一瞬の出来事で、鬼界カルデラの大噴火により九州南部の村は全滅してしまったのです。

が、ここにロマンが。

全滅したと思われる九州南部の湊川人の人々ですが、
海へ逃れ東へ向かった人たちもいたかもしれないのです。

というのも、彼らの技術である丸木舟が全国で発見されたから。

もしかしたら、湊川人たちはかつての先祖がそうしたように、海を渡っていったのかもしれませんね。

 
 
 
5500年前  巨大集落 三内丸山
 
5500年前 対馬海流にのって陸奥湾の奥地にたどり着いた家族がいました。
Eちゃん一家です。

Eちゃんのお父さんは「ここは見事な森があるなぁ。よし!
ここに新しいムラを作ろう!」と決意!

森を焼いて空き地を作り、クリの木を植えました。

そしてヒョウタンの畑などをつくり、食糧難に備えました。

Eちゃん一家がやってきてから数十年たつと、「ここに住まわせて」と
やってくる人も出始め、人口が増えはじめました。

ムラが豊かになると遠くのムラからも「交易しようよ!」とやってきて、
いつしか三内丸山は交易の拠点となっていったのです。

Eちゃん一家が住むようになってから数百年たった三内丸山

この頃になると人口500人以上も住むようになり、縄文時代で最大のムラになりました

人が集まれば人がくる。

こうして三内丸山は繁栄し、お祭りともなると周辺のムラから沢山の人が集まり、
交易の場として縄文時代をすごしていたのです。
 
4000年前 三内丸山 終局を迎える
が、三内丸山に異変が出てきました。

というのも、地球が寒冷化してきたのです。

寒冷化は日本全国を襲い、どのムラも衰えてきました。

三内丸山の食料は次第になくなり始め、交易に来る人もいなくなってしまったのです。

こうして人と物が集まらなくなった巨大集落三内丸山から人々は去っていきました。

そして三内丸山の周りに小さいムラを作り始めたのです。

三内丸山は「昔のような繁栄をもう一度!それには盛大な祭りが必要だ!
もっとお祈りしなければ!」と言って、小さなムラに散らばった人たちと共同で盛大な祭りをすることに

そしてストーンサークルを作り、祭りをしましたが、自然環境には勝てませんでした。

1500年以上も繁栄を誇った三内丸山も、とうとう終焉を遂げたのです。
 
 
 
 
縄文時代の人口は何人? 

縄文時代の初めごろの人数は、2万人と言われています。

中期になると、東日本で25万人ほど。西日本では1万人と予測されています。

1つの村は30人単位と考えられてます。

 

縄文人の顔はどんな顔? 

縄文人の顔は発掘された人骨からみると、結構綺きれいな顔立ちでスタイルが良かったらしい。

特に綺麗だったのが歯。

とても歯並びが良く虫歯も殆どなし。

現代は物を食べる時しか「歯」を使わないけど、この頃は歯は立派な工作の道具。

縄文人は皮をなめす時や、縄を切ったりするのに「歯」を使っていました。

そのため歯やつるつる。

歯にデコボコがないため、食べかすとかが詰まらないので、
虫歯の原因になるミュータンスという細菌が増殖しなかったのです。


お次は体。

男性の平均身長は158cm。女性が148cm。

ちなみに江戸時代の人々の身長もこれくらい。

目は大きく、鼻が高く、口が大きい。

特に唇が厚かったらしいです。

顔の形は四角いそうです。


縄文人は何歳くらいまで生きた?
 
縄文時代は、生まれてすぐ死ぬということがとても多かった。

15歳くらいまで生きることができれば、35歳くらいまでは生きれたらしい。

50歳なんて、よっぽど健康な人じゃないと、生きていけない時代でした。
 

縄文人のお仕事 

縄文人は狩猟採取の時代を生きていました。

そのため食料獲得が一番大事な仕事。

他に衣服を作る仕事・家を作る仕事・道具を作る仕事などなど。

ある程度の役割分担も出来ており、男性が狩猟をしていました。


縄文人は自由大好き 

縄文時代は酒抜きでは語れません!
自由を求め酒を飲み歌い踊る縄文人。

この時代は誰もがホンネで語り、誰もが平等で互いの主張を認め合う社会でした。
この頃のお酒の素材はなんとどんぐり。

どんぐりからとったデンプンの粉を練り上げてお団子にし,このお団子を置いておくと
青いカビが生えて、デンプンが発酵するのです。

 
心優しい縄文人 

神奈川県の菊名貝塚から縄文時代の猪や鹿の骨が発見されました。

調べてみるとどうやら鹿の骨は雄のものだけ。

猪の骨も子供の猪の骨が少なかった。

ということは、縄文時代の人々は子供を産む雌(めす)は捕らえなかったり
、子供は捕らえなかったということになります。

また、貝もデカイものばかりだったそうです。

縄文時代の人々は心の優しい人が多かったんですねー

 
縄文人のお家
 
家は「竪穴(たてあな)住居」です。

広さは年代によって多少の違いはありますが、縄文後期になると、今の2DKくらいの大きさ。

だいたい茅葺(かやぶき・わらのこと)屋根の円形の家で、壁はないけどある程度の「空間」がありました。

通気性がよく、湿気が少ないという快適なお家でした。


縄文時代の食べ物
 
縄文時代の食べ物は「海の幸・山の幸」

主食はどんぐり・胡桃・トチなどの木の実と言われいます。

そのほかには

カツオ・マグロなどの魚。

キジ・ワシ・鹿・猪・熊などの肉食。

蛤・シジミなどの貝類

ユリネ・山芋などの根菜

などなどです。

ちなみに、鹿と猪は縄文人の「大好物」でした。

この時代には、まだ「井戸」はなく、水は近くの川から取っていました。

また「泉」を取り囲んで村を作っていたそうです。

 
縄文時代のファッション
 
縄文人はなかなかお洒落さんと言われています。

編布(あんぎん)と呼ばれる布で作られた衣服を着ていました。

寒いときには鹿の皮などを着用

ちなみに衣服を着るようになったのは

寒いときに体を保護する羞恥心

体を装飾するためと言われています。

装飾品はというと、耳にはピアスをしてる人もいました。

腕にも腕輪をつけたり、腰飾り・ペンダントなどなど。

素材は石・貝・角・骨など。


縄文時代の特徴 

その他、この時代の特徴として・・・

・弓矢が発明された(それまでは槍)

・貝塚 食べた後の貝殻や骨をまとめて捨てるトコ

・土偶 女性の体をかたどっています

・子供を生む女性を崇拝することで、多くの収穫を願いました

・屈葬 死者が生き返る説があったので、手足を強く折り曲げて縛って葬った

・縄文人の行動範囲はだいたい10キロ程度。それ以上遠くなると家に帰れなくなっちゃう。

 

神話のお話  日本誕生イザナギ&イザナミ 

日本の神話は「古事記」「日本書記」「風土記」等に書かれています。

ここでは古事記から、「国を産んだ」という男の神様イザナギと女の神様イザナミのお話をちよっと紹介。

空が曇ってドロンドロンしてた頃、イザナギとイザナミが槍の先で海をかきまぜました。

するとしずくがポタポタ落ちて島ができました。

この島に2人の神様が下りて、九州・四国・・・と次々島を作って今の日本列島ができたとか。

そしてこの2人は夫婦になりました。

ある日イザナギ゙が、「あなたの体はどんな感じにできてるの?」と聞くと、
イザナミが「私の体には一つ足りないとこがある」という。

で、イザナギは「私の体は一つ余ってるとこがあるので、それをあわせてみましょう」
そしてイザナミOKよってことで、成立(?)しました。

ちなみに、古代の日本は女性を中心とした女系社会でした。

最終的な判断なんかも女性がしたらしいです。

女性は子供を産むってことで崇拝されてたみたい。

戦いとかが始まる世の中になっていくと、力の強い男性が出てきて
時代はいつの間にか「男尊女卑」になっていっちゃうんですねー。

今の時代「女性が強くなった」と言いますが、元通りに戻っただけ!?

その後の2人はと言うと女性であるイザナミから誘った時に、ヒルコていう
骨のない子を産まれちゃったので2人は悲しんだらしい。

ちなみに骨のないヒルコがなぜ生まれてしまったかというと、
女であるイザナミが先に男のイザナギを誘ったからだとか。

島を産み終わったら、今度は神の子を作り始めたんだけど、イザナミが死んじゃったのです。
 
「イザナミに会いたい!」イザナギ黄泉の国へ
イザナギは、死んだイザナミが大好きだったので、黄泉の国へ会いに行くことに。

だけど、イザナミは「私は黄泉の国の食べ物を食べちゃったので戻れない」と、寂しげに言うのです。

黄泉の国の食べ物を食べちゃったら、現世には戻れないとされてました。

悲しむイザナギ。

イザナミは、「黄泉の国の神様に相談するから、待ってて。その間絶対覗かないで!」と言いました。

が、ずーっと待っても帰ってこないので、イザナミは約束を破って覗いちゃったのです。

すると、そこにはウジのわいたイザナミの死体がありました。

怖くなったイザナギは逃げ出してしまったのです。

恥をかかされ怒ったイザナミ。

怒って後を追いかけました!

間一髪で外に出たイザナギは、巨大な岩で黄泉の国の入り口を塞いだのです。

怒ったイザナミは、「オマエの国の人間を1日1000人殺してやる!」と、言いました。

するとイザナギ、「それならこっちは1日1500人産んでやる!」と対抗したのです。

これが神話による「人間の生死の始まり」だそうです。

というか、イザナギひどいよね。
 
イザナギ 体から子供を産む

黄泉の国から帰ったイザナギは、穢れを洗い落としました。

そこで、右目を洗ったところ「ツクヨミ」が誕生。

左目を洗うと「アマテラス」が。

鼻を洗うと「スサノオ」が生まれたらしいです。

 

アマテラス 怒って岩屋に隠れる 

アマテラスは太陽の女神で皇室の先祖であると言われており、高天原を治めていました。

ところが嵐の神スサノオは、海が乾くほど泣いてばかり。

亡き母のいる国に行きたいと言い、とうとうイザナギに追放されてしまいました。

スサノオはアマテラスを訪ねていきましたが、ここで気性の荒いスサノオは迷惑をかけてばかり。

ちょっと笑えるけど、神殿にウンコしたり、神聖な場所に馬の皮をはいで投げ入れたり。

ついにアマテラスはぶちぎれて岩屋にこもってしまいました。

すると天も地も真っ暗になり、あらゆる災いが起こったのです。

これはやばいとみんな大慌て。

そしてアマテラスの隠れた岩屋の前でお祭りを始めたのです。

外の祭り騒ぎに「あたしが隠れてるってのに、なんであんなに騒々しいのかしら?」と
疑問に思ったアマテラスは、そーっと岩屋の戸を開けたところ、

アメノタジカラオという神に引き出され、世界に光が戻ったのです。

そしてスサノオは高天原から追放されました。

 

ヤマタの大蛇VSスサノオ 

追放されたスサノオは、出雲の地へ向かいました。

するとそこに老夫婦が泣いていました。

どうしたのかと訪ねると、「八の頭と八の尾を持つヤマタノオロチが、
娘のクシナダ姫を食べに来る」と言うのです。

「じゃあ、オレが助けてやる!」と、スサノオは、濃いお酒を八の桶に入れて待ち受けました。

現れた大蛇がその酒樽に顔を入れて、お酒を飲み干し眠ってしまうと、
スサノオは大蛇の頭をずたずたに切り裂き退治したのです。

その時大蛇の尾から立派な太刀が出てきました。

スサノオはこの太刀をアマテラスに献上したのです。
これが三種の神器の一つ「草薙の剣」です。

スサノオとクシナダ姫は結婚し幸せに暮らしました。

      >> 弥生時代

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